97年、強烈な強さでJFLを制した札幌に、いきなり難題が突きつけられた。 それは「J1残留」という、昇格した札幌にとってはいきなり相反した問題だった。 99年からJリーグは2部制に移行する。 その1部・J1に残れるのは16チーム。 98年Jリーグ所属チームは18チーム…どうしても2チームは2部に降格しなければならない。
それを決めるのが、今考えると不可解なポイントシステム…97年と98年の年間結果をポイント制にして(比率的には97年:98年=1:2。厳密には97年W杯予選の影響で、代表選手を抱えてるチームはポイントがごく僅か加算されたり、制度は複雑。)、そのポイント下位5チームはJリーグ終了後に行われる「1部参入決定戦」に回らなければならない。 札幌は97年、JFL会員だった。 つまり、97年分のポイントが「ない」のだ。 …言ってみれば、98年開幕時点でいきなり「崖っぷち」だったわけ。 目安として掲げられた目標は「年間1ケタ順位」。 しかし、過去昇格1年目のチームはどのチームも苦戦している。 京都なんかは勝てなくてチェアマンからハッパかけられたくらいだ。 札幌とて全く同じとは言わないけど、棘の道が待ちうけているに違いないハズ…。
1stステージ、16位。 しかもGWまではホーム厚別が使えないという過酷な状況で。 この時点で、札幌に広がったムードは「もう入れ替え戦は避けられそうにない。 とにかくプロとして、目の前の1試合1試合を大事に戦っていけば、J1は見えてくる」といったものだった。 もちろん、オレもその考えに同調した。 本当はコレが誤った選択だとも知らずに…。
そのムードがチーム内に乗り移ったか、2ndステージは打って変わって絶好調。 序盤は首位も夢じゃない位置にいたのだ。 ユーゴの英雄がいるチーム、またW杯得点王を抱えたチームを、厚別で撃破してしまう。 後半はさすがに息切れしたが、2ndステージ10位。 1年目のチームにしては、過去の例から見て充分に合格点を与えられる結果だった。
しかし、この年はサッカーファンにとって絶対忘れられない事件が起きてしまう。 横浜フリューゲルスの消滅だ。 一見札幌とは関係ない事件のように思うが、このおかげで入れ替え戦参加チームは1チーム減る事態になった。 この事件が発覚した時点でも、札幌は入れ替え戦から免れることは既に無理だった。 けど、札幌より格上のチームが1チーム減るという結果は、札幌や入れ替え戦参加チームにとって何かしら影響を与えた。
そして、第2の事件。 フェルナンデス監督解任。 1stステージの結果から、「監督変えても…」の話がなかったわけじゃない。 けど、監督は代わらずに2ndステージを迎え、快進撃を続けた。 これなら、フェルナンデスで入れ替え戦を戦い抜くんだろうと思った矢先の事件。 発覚したのは名古屋グランパスを撃破した翌日…。 その日の朝刊、無我夢中で破り捨てた記憶がある。 あまりにもタイミングが悪い…札幌フロントは無能の固まりか!?と本気でキレた。 監督よりもまず、先に選手の補充からやるのが筋ではないのか?との疑問があったからだ。 入れ替え戦に向けて補充した戦力は3人(埜下、棚田、関)。 入れ替え戦参加チームの中では最も少ない方だった。 もちろん、補充したから必ずしも強くなるわけではないけど、「強くしよう」という意思が札幌フロント陣から何も感じられなかった。
この年、年間順位は18チーム中14位。 入れ替え戦に参加しないG大阪が(97年に好成績を残した為)15位だったことを考えても、悪くない結果だと思う。 しかし、97年&98年総合ポイント15位。 入れ替え戦参加…厳しい現実に直面する。
この頃のオレの精神状態は明らかに異常だった。 フリエの事件があってから、「2部になったらスポンサーがどんどん去って行って、フリエと同じ運命をたどっていくんじゃ…?」とか思った。 現に、入れ替え戦、勝ってもらうためにはどうしたら…→応援しなきゃ→じゃ、競技場行こう★(爆)と思っちゃったりしてた(笑)。
Jリーグ1部参入決定戦2回戦・第1戦(注:1回戦は福岡−川崎Fで、福岡が勝利。札幌他のチームは2回戦からの登場)。 ヴィッセル神戸−コンサドーレ札幌。 場所は神戸ユニバー記念陸上競技場。 そのアウェイ側ゴール裏に、オレがいた(爆)。 来てしまった経緯は別にしても、とにかく勝ってもらいたい…その一心で、何一つ身支度せず女満別空港に駆け込んだ。 実はこの時が人生初のアウェイ観戦。 関西に来たのも初めてだ。 しかし当然ながら観光気分に浸れたもんじゃない。 サポの人たちは時折笑顔を見せつつも目が笑ってない…それだけ余裕がなかった。 ギリギリに追い詰められていたのだ、サポーターも。
…試合結果は1−2。 リーグ戦では2勝した相手に、だ。 ハッキリ言って信じられなかった。 2ndステージ、あれだけ眩い光を放ったサッカーはもう消えていた。 消されていた、と言った方が正解かもしれないが、結果は結果。 一番結果を出さなきゃいけない試合で、結果を出せなかった。 温厚な札幌サポーターと言えど、この時ばかりはかなり怒号が飛んだ。 オレはイスに崩れ落ちていて、そんな余裕は全くなかった。 ここまで時間と金をかけて応援しに来た結果がコレだったからね(笑)。 帰りの地下鉄、無邪気に喜んでる神戸ユニを着た子供を見たとき、目頭がマジ熱くなった。 …ホテルでは一切TVを見なかった。 翌朝6時、ホテルをチェックアウトする自分の姿があった。 こんな街にはいたくないから。 負けたとはいえ神戸は観光都市なのに…何も観光らしいことをせず(笑)伊丹行きのバスに乗った。 この日の朝陽はすごくキレイだったのだが、どうしても感傷に浸れる気にはなれなかった。
けど、次のホームの試合で点差に関わらず勝てば良かった(得失点差が並んだ場合、97&98年ポイント順の上位の方が勝者扱いになるから。札幌は15位、神戸は16位)。 さすがに室蘭に足を運ぶ余裕はなかったが、今度はホーム…無様な負け試合することはないだろうと思った。 その慢心で、なんと試合結果を翌朝まで知らずにいたというバカっぷり(爆)。 新聞見たとき、信じられなかった…0−2の完敗。 ラジオの番組内で「まだサポできる期間があるんだから、切羽詰って考えないで気楽に行こう」の一言を聞かなかったら、間違いなく福岡に足を運んでいたと思う(笑)。
Jリーグ1部参入決定戦第3代表決定戦・第1戦。 当然のコトながらTV中継はナシ。 何故かNHKラジオ第一が中継していて、片時もラジオのそばを離れず聞いていたが…0−1の敗北。 その深夜の道内ニュースで、札幌のレポーターがバルデスに向かって「勝って下さい…」と涙声で訴えている姿がものすごく印象的だった。 第2戦の状況も神戸のときと同じく、点差に関係なく勝てばそれでいい。 この時は…神戸のときのような気持ちじゃなく、札幌の「98年最後の試合」をこの目で見たかった…ただそれだけの一心で、12月4日深夜、北見駅を発った。
12月5日。 第2戦、室蘭。 いつもとは明らかに違う雰囲気がそこにあった。 いつもならゴール裏に陣取るサポーターが初めてバックスタンドに回った。 トラック部分に山積みされた雪。 殺気立つサポーター。 それを煽る川平慈英氏(笑)…ただのサッカーの1試合では片付けられない雰囲気があった。 12:00、運命の序曲が流れ始め…。
試合終了。 0−3。 この瞬間覚えていることは、喜びを爆発させる福岡スタッフ席、泣き崩れるコンサドールズ、そして静まり返った札幌サポーター…くらいしか覚えてない。 当然福岡サポは喜びを爆発させてるから競技場が全く静かになったわけじゃないけど、室蘭が一瞬静寂に包まれた。 その後、誰が発したかコンサドーレコールが巻き起こる。 この時は無我夢中だった。 もう試合終わってるのに…うずくまったまま立てない関の姿がものすごく印象に残った。
選手が退場した後で、ようやく現実の重みを感じた。 周りのサポは男女構わず大号泣。 オレは我慢したけど、無意識のうちに涙は流れていたと思う。 そして再びコンサドーレコールが…って、福岡サポからコンサドーレコールが。 エールの交換の意味だったけど、それを聞いた瞬間堰を切って大泣きしてしまった。 人前であんなに泣いたのは初めてだったと思う。 それだけ悔しかったし、悲しかったし、辛かった。
最後に川平さんと一言話す機会があった。 「今は辛いかもしれないけど、コレを乗り越えたら札幌はまた一回りもニ回りも強くなるから…大丈夫。キミらみたいなサポがいる限り、札幌は大丈夫!」の一言がものすごく重かった。 ここ数年分の涙を出し尽くした頃に、室蘭を後にした。
…翌日札幌に出る機会があったので、コンサドーレショップに寄ることにした。 いくら室蘭であれだけ熱いサポーターがいても、試合が終わって負けちゃったから、お店…誰もいないだろうな…とブルーになりながら扉を開けた。 しかし、店はものすごい人であふれ返っていた。 しかも、皆がみんな昨日の中継のVTRを食い入るように見つめていた。 誰も「あの時こうしていれば…」みたいな話はなく、まるで昨日の悔しさを体に刻み込もうかのごとく、店員さんまで見入っていた。 この雰囲気に耐えられず、席を外して掲示板を見たが…何一つ悲観的な貼り紙はなかった。 「J2初代王者を目指そう!」「私たちがいる限り、札幌は絶対大丈夫!」など。
…思わず、店を走り去ってしまった。 昨日のせいもあってか、涙腺が弱くなってしまって(笑)大通公園のベンチで、人目をはばからず涙を抑えるのに必死になってた。 マスコミとかの報道で「札幌サポは温厚」だとか言われていたけど、自分が必死に札幌を応援するようになってからは「他の札幌サポ」を気にする機会はあまりなかった。 けど、この時ばかりは「札幌サポって凄い…」と心から思った。
涙が収まった頃に、「ミランのレプリカ着ながら弱いけど、好きだから…どうしようもなく好きだから…仕方ないから最後まで面倒見るかっ♪」と、初冬の札幌の寒空を見上げながらつぶやいた。 これで、少しはサッカーの魂に近づくことが出来たかな、慈英さん…と思いつつ、札幌を後にした。